今日の読売新聞の夕刊に、「大好き、食虫植物」の書評が載りました。

「大好き、食虫植物。育て方・楽しみ方」(星野映里著、水曜社、1600円税別) ひそかにブームになりつつある食虫植物の栽培入門書。ウツボカズラやサラセニアといった、入手しやすく、初心者向きの種類の育て方を、愛好家がわかりやすく説明している。「ハエトリソウにチーズをあげたら腐ってしまった」などの失敗談が笑いを誘う。自生地で食虫植物の写真を撮り続ける女性愛好家らとの交友録も楽しい。
(2008年6月19日 読売新聞)
マニア交友録が案外に評判が良いので、嬉しいです。
食虫植物の本が、今月末と来月に刊行され、食虫植物への注目は
高まっていくことでしょう。
楽しみなことです。

「大好き、食虫植物。育て方・楽しみ方」(星野映里著、水曜社、1600円税別) ひそかにブームになりつつある食虫植物の栽培入門書。ウツボカズラやサラセニアといった、入手しやすく、初心者向きの種類の育て方を、愛好家がわかりやすく説明している。「ハエトリソウにチーズをあげたら腐ってしまった」などの失敗談が笑いを誘う。自生地で食虫植物の写真を撮り続ける女性愛好家らとの交友録も楽しい。
(2008年6月19日 読売新聞)
マニア交友録が案外に評判が良いので、嬉しいです。
食虫植物の本が、今月末と来月に刊行され、食虫植物への注目は
高まっていくことでしょう。
楽しみなことです。
今日、所用で高円寺駅に行ったところ
改札口にて、何やら見覚えのある顔が・・・。
あ、ゾマホンだ。
すぐに夫に「ゾマホンが高円寺にいるよ」
とメールを打ったところ
夫から速攻で
「握手してこい」
との返事。
うちは、実はゾマホンの『ゾマホン、大いに泣く』と『ゾマホンのほん』
が家にあるほど、ファンなのです。
実に志の高い、国士ですよね。尊敬します。
握手を求めたところ、どういうわけか駅前の喫茶スペースにて
話をすることに。
名刺交換をし、記念撮影。
ちょうど拙著を持ち合わせていたので、プレゼントしました。
喜んで貰えましたよ。
「変わった本デスネ」
としきりにおっしゃっていました。

「『ゾマホン、大いに泣く』と『ゾマホンのほん』を買いました」
と言ったら
「おかげさまで、ベナンに学校ができました。有難うございます」
と丁寧なお言葉。
いい方でした。
改札口にて、何やら見覚えのある顔が・・・。
あ、ゾマホンだ。
すぐに夫に「ゾマホンが高円寺にいるよ」
とメールを打ったところ
夫から速攻で
「握手してこい」
との返事。
うちは、実はゾマホンの『ゾマホン、大いに泣く』と『ゾマホンのほん』
が家にあるほど、ファンなのです。
実に志の高い、国士ですよね。尊敬します。
握手を求めたところ、どういうわけか駅前の喫茶スペースにて
話をすることに。
名刺交換をし、記念撮影。
ちょうど拙著を持ち合わせていたので、プレゼントしました。
喜んで貰えましたよ。
「変わった本デスネ」
としきりにおっしゃっていました。

「『ゾマホン、大いに泣く』と『ゾマホンのほん』を買いました」
と言ったら
「おかげさまで、ベナンに学校ができました。有難うございます」
と丁寧なお言葉。
いい方でした。
『大好き、食虫植物』が世に出てから、感想をいただく機会が増えました。
どんな感想も嬉しいもので、mixi日記やブログでご紹介していただいたり
mixiレビュー、Amazonレビューで感想を書いて下さったり
「本を買いました。面白かったですよ」とメールをいただくこともあり
身に余る光栄です。
アンケート葉書も生まれてはじめて貰いましたが、一生の宝物です。
色々感想をいただき、どれもタメになるものでした。
中でも、yamamoxさんが
「東京ベランダ植物図鑑」
で、書いて下さったレビューが
なんというか、私が一番苦労した部分を的確に掴んで下さっていて
嬉しかったので、引用させていただきます。
★★★★★
2005年に食虫植物に魅せられた、29歳の女性の著者の、食虫植物入門書。
帯の推薦文は獣神サンダーライガー(実は食虫植物愛好家らしい)。
あまりにも感動的な本だった。
同時期から多肉とチランジアを育て始めた身として共感し、
植物関係の出版物を担当している身としてくやしさと羨望。
この本の何に感動したかうまく伝えられるだろうか。
まずこの本を貫いているのはゴシック精神だ。
というと誤解を招きそうだが、ここでいうゴシック精神とは高原英理(『ゴシックハート』、『ゴシックスピリット』の著者)らのさすそれである。といってもあれなので、僕の浅い理解で要約すれば、長く非理性的、宗教的、神的なる中世があり、人間礼賛、ギリシア回帰のルネサンスがあり、より理性志向の強まるバロックがあり、その延長線上に近代(人間万能、理性万能、未来明るい)があり、そのアンチとしての、反理性的、反楽観主義的志向性としてのゴシックがある。というゴシック精神だ。
彼女の文章を引用する。
食虫植物は美しいとここで断言します。
(中略)
植物は本来、植物連鎖のピラミッドの下方にあり、食い物にされることを運命づけられています。それに対し、食虫植物は長い進化の過程で食虫能力を身につけました。つまり、この世の不条理に反逆しているのです。
(中略)
私は食虫植物に反逆のスピリットを感じてなりません。そして己の逆境を切り開くその強さ、気高さに惹かれずにはいられません。
食い物にされるのは植物ばかりではありません。人間でも同じことです。
「負けるな、自分であるために、戦え。自分の力で運命を切り開くんだ」
腐っていた私に食虫植物がそう語りかけてくれたように思います。
人間関係や仕事で腐っていた(いかにも近代的な悩み)彼女は、食虫植物と出会うことで、その状況を超えたのだ。
もう一箇所引用
ウツボカズラの話
ウツボカズラを目にするのは、それが初めてでしたが、何より目についたのはが奇怪な壷です。葉の先からぶらさがるひょうたんのような壷には、蛇の鱗のようなまだら模様がペインティングされていて、毒々しく、形はそそり立つイチモツのようで、たちまちその御姿の魅力にハマってしまったのです。
こんな言葉の綴られる園芸入門書が過去にあっただろうか。
いとうせいこうの『ボタニカルライフ』以来の衝撃である。
フーコーをひくまでもなく、近代は性を隠蔽し、そのことで性を特権化してきた。
性を語ることはタブーであり、性を想起させるような造形物は、嫌悪の対象となってきた。
しかしほんとに性や性器は汚らしく忌むべきものなのか。
なぜ男の子はあれほどまでに女性器に執着するか。
彼女はハエトリグサの英名「Venus Flytrap」にも言及し、Venus(ビーナス)が女性器の隠喩であることにもさらりと言及する。(パフィオペディラム=女神のスリッパも同様であることを知って欲しい、そしてなぜランの中でパフィオが最もマニアを生み出すかも)
いうまでもなく、花は生殖器である。
いうまでもなく自生地と違う環境に無理やり連れてきて育てる園芸という文化は非エコである。そもそも文化は非エコである。
園芸とはつきつめれば、そういった暗い情念の生み出したものであり、だからこそ近代に(その権化であるヨーロッパの貴族によって)発展してきたのだ。
彼女がそのことに意識的だったとは思えないが、それでも彼女は、この本によって、軽やかに近代を超克し、園芸のコアな部分、ハードコアを解き明かしてくれているのだ。
ハーコー(ハードコア)園芸への招待。
共感のメディアたるブログでこのような文章を綴るのは間違っているかもしれないが、
(せっかく僕の文を柔らかい、優しいといってくれる訪問者もいるのに)
それでも伝えたい、語りたいと思えるほどの素晴らしい本だった。
(http://yamamox.exblog.jp/
『東京ベランダ植物図鑑』より引用)
★★★★
私が本を書くにあたって、一つの方向性を見いだしたものは
まさに、いとうせいこうさんの本でした。
文学畑の人間が書く、園芸書というものに、近いベクトルを感じました。
もちろん、自分といとうせいこうさんを比肩するのはおこがましいことではありますが。
『自己流園芸ベランダ派』の最終回で、植物を通じて哲学を語る
姿勢に大いに共感を感じたのです。
あとは、引用されている、ウツボカズラの描写の「イチモツ」ですが
実は、これは、夫に下読みして貰った時点で、眉をひそめられ
「下品だから、削った方がいい」
と言われた箇所でした。
これを書くまでに、自分の文章が面白くなくて、しばらく悩んでいました。
ハエトリソウの解説を書いても、いかんせん図鑑的で、言葉が借り物っぽく
死んでいたのが、気に入らなかったのです。
なんとか打破したいと思って、書いたのが
まさに、
『ウツボカズラを目にするのは、それが初めてでしたが、何より目についたのはが奇怪な壷です。葉の先からぶらさがるひょうたんのような壷には、蛇の鱗のようなまだら模様がペインティングされていて、毒々しく、形はそそり立つイチモツのようで、たちまちその御姿の魅力にハマってしまったのです。』
の箇所でした。
これを書いて、吹っ切れました。
自分が貫く姿勢はこれだと思ったものです。
ここをなくせば、自分の色はなくなるだろうと思います。
だから夫には
「これはゼッタイに削れない」
と抗弁しました。
(今思えば、下読みしてくれてる夫の立場は一体・・・。夫よごめん)
その後も、ここは賛否両論で、
「あ〜、旦那の言うこと聞いておけば良かったのかな。私ってホントバカだなぁ」
と思いましたが、やはり書いて良かったです。
花が生殖器であるとは常々思っていることですが
秘すれば花なのか、声高に言うと顰蹙ものですね。
猥褻というものは、隠したり、遠ざけたり、禁じたりした方が、よりエロティシズムを感じて良いのでしょうが、私は別の角度からも興味があります。
つまりは「道徳」によって、生物的なものの美や本質など、本来の良さが殺されてしまう(目を逸らしてしまう)のは、勿体ないことだとも思います・・・。
どんな感想も嬉しいもので、mixi日記やブログでご紹介していただいたり
mixiレビュー、Amazonレビューで感想を書いて下さったり
「本を買いました。面白かったですよ」とメールをいただくこともあり
身に余る光栄です。
アンケート葉書も生まれてはじめて貰いましたが、一生の宝物です。
色々感想をいただき、どれもタメになるものでした。
中でも、yamamoxさんが
「東京ベランダ植物図鑑」
で、書いて下さったレビューが
なんというか、私が一番苦労した部分を的確に掴んで下さっていて
嬉しかったので、引用させていただきます。
★★★★★
2005年に食虫植物に魅せられた、29歳の女性の著者の、食虫植物入門書。
帯の推薦文は獣神サンダーライガー(実は食虫植物愛好家らしい)。
あまりにも感動的な本だった。
同時期から多肉とチランジアを育て始めた身として共感し、
植物関係の出版物を担当している身としてくやしさと羨望。
この本の何に感動したかうまく伝えられるだろうか。
まずこの本を貫いているのはゴシック精神だ。
というと誤解を招きそうだが、ここでいうゴシック精神とは高原英理(『ゴシックハート』、『ゴシックスピリット』の著者)らのさすそれである。といってもあれなので、僕の浅い理解で要約すれば、長く非理性的、宗教的、神的なる中世があり、人間礼賛、ギリシア回帰のルネサンスがあり、より理性志向の強まるバロックがあり、その延長線上に近代(人間万能、理性万能、未来明るい)があり、そのアンチとしての、反理性的、反楽観主義的志向性としてのゴシックがある。というゴシック精神だ。
彼女の文章を引用する。
食虫植物は美しいとここで断言します。
(中略)
植物は本来、植物連鎖のピラミッドの下方にあり、食い物にされることを運命づけられています。それに対し、食虫植物は長い進化の過程で食虫能力を身につけました。つまり、この世の不条理に反逆しているのです。
(中略)
私は食虫植物に反逆のスピリットを感じてなりません。そして己の逆境を切り開くその強さ、気高さに惹かれずにはいられません。
食い物にされるのは植物ばかりではありません。人間でも同じことです。
「負けるな、自分であるために、戦え。自分の力で運命を切り開くんだ」
腐っていた私に食虫植物がそう語りかけてくれたように思います。
人間関係や仕事で腐っていた(いかにも近代的な悩み)彼女は、食虫植物と出会うことで、その状況を超えたのだ。
もう一箇所引用
ウツボカズラの話
ウツボカズラを目にするのは、それが初めてでしたが、何より目についたのはが奇怪な壷です。葉の先からぶらさがるひょうたんのような壷には、蛇の鱗のようなまだら模様がペインティングされていて、毒々しく、形はそそり立つイチモツのようで、たちまちその御姿の魅力にハマってしまったのです。
こんな言葉の綴られる園芸入門書が過去にあっただろうか。
いとうせいこうの『ボタニカルライフ』以来の衝撃である。
フーコーをひくまでもなく、近代は性を隠蔽し、そのことで性を特権化してきた。
性を語ることはタブーであり、性を想起させるような造形物は、嫌悪の対象となってきた。
しかしほんとに性や性器は汚らしく忌むべきものなのか。
なぜ男の子はあれほどまでに女性器に執着するか。
彼女はハエトリグサの英名「Venus Flytrap」にも言及し、Venus(ビーナス)が女性器の隠喩であることにもさらりと言及する。(パフィオペディラム=女神のスリッパも同様であることを知って欲しい、そしてなぜランの中でパフィオが最もマニアを生み出すかも)
いうまでもなく、花は生殖器である。
いうまでもなく自生地と違う環境に無理やり連れてきて育てる園芸という文化は非エコである。そもそも文化は非エコである。
園芸とはつきつめれば、そういった暗い情念の生み出したものであり、だからこそ近代に(その権化であるヨーロッパの貴族によって)発展してきたのだ。
彼女がそのことに意識的だったとは思えないが、それでも彼女は、この本によって、軽やかに近代を超克し、園芸のコアな部分、ハードコアを解き明かしてくれているのだ。
ハーコー(ハードコア)園芸への招待。
共感のメディアたるブログでこのような文章を綴るのは間違っているかもしれないが、
(せっかく僕の文を柔らかい、優しいといってくれる訪問者もいるのに)
それでも伝えたい、語りたいと思えるほどの素晴らしい本だった。
(http://yamamox.exblog.jp/
『東京ベランダ植物図鑑』より引用)
★★★★
私が本を書くにあたって、一つの方向性を見いだしたものは
まさに、いとうせいこうさんの本でした。
文学畑の人間が書く、園芸書というものに、近いベクトルを感じました。
もちろん、自分といとうせいこうさんを比肩するのはおこがましいことではありますが。
『自己流園芸ベランダ派』の最終回で、植物を通じて哲学を語る
姿勢に大いに共感を感じたのです。
あとは、引用されている、ウツボカズラの描写の「イチモツ」ですが
実は、これは、夫に下読みして貰った時点で、眉をひそめられ
「下品だから、削った方がいい」
と言われた箇所でした。
これを書くまでに、自分の文章が面白くなくて、しばらく悩んでいました。
ハエトリソウの解説を書いても、いかんせん図鑑的で、言葉が借り物っぽく
死んでいたのが、気に入らなかったのです。
なんとか打破したいと思って、書いたのが
まさに、
『ウツボカズラを目にするのは、それが初めてでしたが、何より目についたのはが奇怪な壷です。葉の先からぶらさがるひょうたんのような壷には、蛇の鱗のようなまだら模様がペインティングされていて、毒々しく、形はそそり立つイチモツのようで、たちまちその御姿の魅力にハマってしまったのです。』
の箇所でした。
これを書いて、吹っ切れました。
自分が貫く姿勢はこれだと思ったものです。
ここをなくせば、自分の色はなくなるだろうと思います。
だから夫には
「これはゼッタイに削れない」
と抗弁しました。
(今思えば、下読みしてくれてる夫の立場は一体・・・。夫よごめん)
その後も、ここは賛否両論で、
「あ〜、旦那の言うこと聞いておけば良かったのかな。私ってホントバカだなぁ」
と思いましたが、やはり書いて良かったです。
花が生殖器であるとは常々思っていることですが
秘すれば花なのか、声高に言うと顰蹙ものですね。
猥褻というものは、隠したり、遠ざけたり、禁じたりした方が、よりエロティシズムを感じて良いのでしょうが、私は別の角度からも興味があります。
つまりは「道徳」によって、生物的なものの美や本質など、本来の良さが殺されてしまう(目を逸らしてしまう)のは、勿体ないことだとも思います・・・。




